面倒くさがりな28歳の専業主婦が、12歳のルフィオに手を出す、そんな話です。
ルフィオというのは映画フックの登場人物で、それに似ているから、主人公が勝手に呼んでいるあだ名です。
展開としては、フィクションだからともかく、行くところまで行ってしまい、終わってしまうなんともな読後感なのですが、そこまで読ませてしまう山本文緒さんの筆致。
本書から抜粋すると、
大人になってもそれは変わらず、遊びの約束でさえ明日の六時に新宿アルタね、などと言われると憂鬱になった。明日になってみなければ、行きたいか行きたくないかは分からない。しかし、そう口に出したら変人扱いされることぐらいは分かっていた。だから、独身の時はストレスが溜まって仕方なかった。
わかる。
というのが、ぼくの感想です。独身のぼくなら人と会う約束さえしなければいいのですが、それでも、店の予約とかもしたくない質でした。
行きつけの店に、来る前でいいから連絡してくださいと言われたくらい。
物語の多くは主人公の家で繰り広げられるので、そんなに大きな事件性がある舞台ではありません。
そんな大掛かりな舞台や設定がなくても物語は面白く転がっていきます。
「おばさん、何歳?」 「女性に歳を聞くのは失礼だって、学校で習わなかった?」 「習わなかった。そうなの?」 「まあいいや。二十八歳」 正直に自己申告した私を、彼は食器を洗う手を止めて見た。その二十八という数字について、彼はかなり長い時間考えていた。 「おばさんじゃん」 考えた末に出した答えがそれだった。 「あー、そうね。そうかもね。おばさんって呼んで下さい。構いません」 「怒ることないじゃん。本当のこと言われてさ」 そうだ。確かに本当のことだ。何しろ私には姪っ子がいるので、正真正銘の叔母さんである。それに、本当は「おばさん」であることが私はそれほど嫌ではないのだ。 「ルフィオはいくつ?」 「十二」 十六歳も違うのかと私は思った。彼が生まれた時、私は高校一年生だったのだ。ぎりぎりではあるけれど、親子にもなれる歳の差だ。 「学校さぼっても、行く所なくてさ。夏前は友達と新宿に行ったりしてたんだけど、最近はそういうのもだるくって」 「ふうん。君は不良だったんだ」 「違うよ。不良なんてくだらない。このタオルで手え拭いていいですか?」 時折思い出したように混ざる敬語が可笑しくて、私は下を向いてぷっと噴き出した。
とか。
さらに、ルフィオの父、ダニー(もちろんあだ名)との出会いのシーンも。
「最近、暇な部署に配置換えになってねえ。ちょっとさぼり癖がついちゃって」 彼が脱いだ安っぽい上着の襟には、大手電気会社の社員章が付いている。迂闊なおじさんだ。さぼる時ぐらい、バッジ外せばいいのに。
とか。
なんでもない、他愛もない会話、普通だったら、読み飛ばされる、退屈なやり取り。このあたりもクスリとさせられてしまいます。
恋愛? 私はバスの吊り革を握りしめた。 何を考えているのか。今更誰か男の人と恋愛をして、どうするというのだ。
こういった感じで、うまい感じに話のターニングポイントを作ってきます。
今更ですが、こうした独特な文体は一人称、私から生まれることに気づきました。