冒頭でテクノロジー哲学者ジャロン・ラニアーの言葉が紹介されます。
怒りや言葉の暴力がインターネット上に蔓延るのは、ある意味、インターネットという媒体の性質と切っても切り離せない現象と言える。誰もが自由に参加して他人の関心を奪い合う場では、前向きで建設的な意見よりも、負の感情の方が注目を集めやすい
コロナのこのご時世だと、本当にそれは思いますね。揚げ足取りばかりが目に映る。
インターネット上の新聞系メディアも批判ばかりで辟易してしまいます。
また、タバコと同じくらい、いいねを確認することには依存してしまうそうです。
まあ、私のブログやTwitterは、いいねが押してもらえるようなことはあまりないので、依存しなくて済みそうですが(笑)
タバコによって肺を痛めるが、アプリによって魂を奪われてしまう。
iPhoneが出てきた時、iPodと携帯電話が一つになった製品としか見られてないし、そうデザインされたはずでした。
気づけば、アプリによって我々の圧倒的な時間が奪われている。
私も以下のような光景を見たことがあります。
夢中になれる世界がスマホの先にあるのでしょうが、いくらなんでも度が過ぎやしないか?と。
この依存は、私としてはスマートフォンより、インターネットからでしたね。
意味もなくブックマークしているサイトを毎日、更新をチェックしているなんてことがありました。
さすがに、これはまずいと気づき、やめました。
最近だと、Twitterのアプリを削除することにしました。
興味深い冒頭でしたが、実際、どうすればいいかというのは、割と地味というか見たこともあるものもあります。
- アプリを削除する
- 30日間休止してから導入して、導入する価値があるかを見直す
- スマートフォンを持たずに外出する
- いいねをしない
- 孤独の時間を持つ
など。
本当に自分がやりたいことを見据えて、その手助けになっているか、テクノロジーに振り回される、テクノロジーを活用できているか見極める必要があるのです。